(その4)の続きです。
パリに戻った私は再び仁美さんと共にフランケティのレッスン場に通う日々が始まりました。
ある日のことです。
当時パリで人気のあったリアンヌ・ダイデ(ダンサー)を中心に組織されていたグループの関係者がフランヶティのレッスンを見た後に私に言いました。
「リアンヌ・ダイデ主役の<コッペリア>全幕で各国を回り、60回公演を予定してますがパ・ド・ルギー(スワニルダの友人役)で出演しませんか?」と
どんな舞台であれ同じ作品を一シーズンに60回も踊れることは日本では有りえないので是非とも経験してみたいと、この時の私はかなり乗り気でしたが重要な問題点が一つ浮上してきました。
ベジャール公演の最後の日と「コッペリア」の初日が同じ日に重なっていたのです。
迷いに迷った私に仁美さんは言いました。
「ベジャールさんの公演と、この公演と両方出れたら良かったんやけど、どっちか決めなあかんなら、そりゃやっぱりベジャールさんの「第九」やないの?古典バレエの作品やったら日本へ帰ってからも踊るチャンスがあるけどベジャールさんの作品は今を逃したらもうチャンスないと違う?」
「第九シンフォニー」出演に関しては既に契約済みなこともあり、私は仁美さんのアドヴァイスに納得して、後ろ髪を引かれる思いながらも「コッペリア」公演の出演はお断りしました。
思えば、このことが後になって私の運命に大きく関わってくることになったのです。
(その6に続く)
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