忘れ得ぬ人(その3)

浅川仁美さんは恩人であると同時に私の人生に大きく関わっている方です。

関わるというより、その後の人生の方向を変えたといっても過言ではありません。

 

何十年過ぎた今でも時々ふと思い出しては

・・・あの時、彼女のあの言葉が無かったら私は全く違うバレエ人生を歩んでいたかも・・・と人生の不思議な流れというか因縁に自身の運命さえ感じています。

 

(その2)からの続きです

仁美さんに誘われてランチをともにしてからは、フランヶティのスタジオでのレッスンを一緒に受けて後、カフェでランチをしたりパリの町中を歩きながら様々な話をしました。

そして午後からはそれぞれの故意にしている先生のレッスンを受けにいくのです。

 

この時期仁美さんはベジャールのカンパニーを一時的に離脱していました。

仁美さんはそのいきさつを事細かに話して下さり、そのことにより私の心はより彼女への憧憬を深めることになったのです。

 

ある日のことです。

フランヶティのスタジオにトゥール・オペラの関係者が視察に来てレッスン終了後、私に

「トゥールのバレエ団と1年契約しませんか?」

と交渉してきたのです。

まさか私なんかにと思っていた矢先だったので、私の心は舞い上がってしまい危うく「ハイ!」なんて言ってしまいそうでした。

 

すると私の側にいてくれた仁美さんが流暢なフランス語で

「彼女は考える時間が欲しいと言っています」と通訳の形をとって彼から名刺をもらい、

数日後に返事をすることで話はまとまったのです。

 

 その後、二人で寄ったカフェで仁美さんは私に言いました。

「加藤さん、そりゃトゥールはお城がいくつかあって気持ちは良いし給料ももらえるか知れんけど、バレエを勉強するためのいろいろな刺激は無いし、ウチはあんまり薦めんけどなー」と

私も・・・その通りだわ・・・と、すぐに彼女のアドヴァイスを受け入れ、翌日トゥール・オペラ(バレエ団)の契約はお断りしました。

 

6月の初め頃(オーディションの許可を得て)、私はモーリス・ベジャールのカンパニー秋の公演
<ベートーベン「第9シンフォニー」>
出演のためのオーディションを受けるべく、ベルギーのブリュッセルへと向かいました。

 

(その4へ続く)